唯愛論ってなんだ?
以前に異業種交流会で知り合った方が、フェイスブックで
「人は何の為に生まれどこに向かっているのか?◆唯愛論◆」
って、上げてはりました。
後で聞いたら本を出されるらしいです!いいっすね~~♪
僕はただ、その「唯愛」という言葉に反応して感じたことが合ってコメントしました。
恐らく、いろんな方が、自分なりの
人間は何の為に生きてるのか?
という問い(Toy・おもちゃ)で遊んでるんですよね。
僕もこれまで、色々と自分なりに考えてきました。
それの一つの答えが
▼
生まれて生きるってことそのものを体験するため
なのかな?と。あくまで僕の答えなので、あしからず。
死も含めて生きるそのもの自体が愛(宇宙、生命)そのものだって体感するためなんだろうなぁ~と
僕たちは、どんな楽しことをしてても、どんなに辛い目にあってても、どんな悲惨な事になっても、どんなに人を憎んでも、いじめても、悪いことをしていても、愛や宇宙から外れることは無いし、僕たちは一度もそこ(愛、宇宙)から外れたことが無い
すべての事が、唯唯、愛でしかない。
宇宙はすべての存在を許している。
宇宙は創造だけではなく、破壊でさえも許している。
その破壊さえも、創造の一部に入れることや、破壊として分離させていくことさえも許している。愛している。
辛い時や、悲しい時、苦しい時や、同しようもない時、どん底なときなども含めて、愛など存在しない。愛から外れたような気がする、愛されていないような経験をもするが、宇宙は許している。愛している。誰も信じることができない。そんな思いや経験することさえも、宇宙は許し愛している。
そんな、本当の意味でのありのままを体験するために、生きているのだろう。
僕にとって、
愛=宇宙=生命=神=人間=全て
だと思っている。そう思った方が、しっくり来る。
完璧なのが愛だと思うかもしれないけれど、
未熟ささえも完璧で、愛で、宇宙だ。
なんとなく、善で優しさのようなものだけが、愛や神のような気がするかも知れないけれど
それは、愛や宇宙の片方だけの話で
悪も怒りのようなもの愛だ。きっと。
そんなふうに思えるのが、愛だと思うかも知れないけれど
そんな風に思わなくても、それも愛なのだ。
この世界が矛盾に満ちていること、曖昧であることが理解できれば、
すぐには馴染めないかも知れないけれど、本当の愛を使っていけるような気がしている。
でも、そんな愛を使うことができなくても
そんなあなたを、宇宙は神は愛は、愛しているのだ。
それが、僕が思っている
唯愛論
結局何が言いたいのかって?
なんでもいいから、好きなように、思うように生きろってこと。
迷ってても、遠回りしてても、唯、唯、生きるってことそのものが、愛なんだよって。
結果はどうであれ、
僕らが宇宙(愛)の外に放り出されることはありえないから(笑)
唯唯、自分を生きればいい=あるがままに生きる
それを、宇宙は許してるんだ。
今は、これが僕の精一杯の愛についての答えだと思う。
信じるか信じないかは、あなたしだいだ!!
知らんけど(笑)